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人間の心という迷宮 – 高村薫『冷血』感想

『冷血』という作品、感想が非常に書きにくい。それはネタバレ回避で感想を書くのが難しいとかそういうレベルの話ではないし、そもそも本書には避けるべきネタバレのような要素はないだろう。

読み終えてからずっと感想をうまく書けないことへのもどかしさと向きあいながら、何か自分なりの言葉を絞りだそうとしているのだが、それでもやっぱりなかなか出てこない。

感性の底にある鏡をさがして

本書について何かを語ろうとするなら、自分自身の感性の深いところを覗きに行かなくてはならない。それはさながら深海の底に沈む鏡をダイブして探しに行くようなもので、とても息苦しい。そしてみつけた鏡に映し出されるのは、はじめからわかっていた通り自分でしかない。

だからもしそこに何らかの価値を見出すとするなら、それは鏡に映し出される自分の姿にではなく、鏡にたどり着くまでにどれだけ息を止めて潜っていられたかという過程の部分にあると思うし、その過程がそのまま各々にとっての本書の評価につながると思われる。

これが読み終えた時にまず感じた率直な感想だったりする。とても感覚的な表現の連発で申し訳ないと思うが、これがいま私が絞り出せる精一杯の言葉だ。

言葉にするということ

自分の感受性をオーバーしてしまうほどの感動や感慨に触れた時、私たちはつい「言葉にできない」と言いがちだ。前段のとおり、本書もまた言葉にするのが難しい作品なのだが、でもそんな身も蓋もない表現で自分の感性を結んでしまうことは、結局のところ逃げでしかない場合が多い。

そしてそれは何より、本書を最後まで読んだ者の感想としてふさわしくないと思う。「言葉にする」というのはこの作品を読み解くためのひとつのキーワードではないだろうか。

私たちの行動にはすべて理由があるわけではない。誰だって何となく突き動かされるようにやってしまうこともある。ではその「何となく」とは一体何なのか。そしてそれを説明しなくてはいけない時、私たちはそれをどうやって言葉にするのか。

本書はその「何となく」を言葉にするために、人間の心という迷宮を巡る物語だ。

私たち自身の物語

感覚的でまとまりのない言葉を並べてきたが、じゃあざっくばらんに言ってこの『冷血』という本はお勧めなの?と聞かれたら、広く万人には勧められないと答えると思う。

正直つまらないと言いたくなる気持ちを理解できないわけでもない。二段組で上下巻あわせて合計600ページ強というなかなかのボリュームなのだが、全体を通して非常に淡々としているので、冗長に感じるところもある。読書に興奮的なおもしろさを求める人には大部分が退屈に感じることだろう。

でも、だからといって読む価値がないなんてことはない。ある人にとっては、人生の一冊になりえる可能性も十分ある。読む人によって評価が分かれるというのは、読書にとって当たり前の話なのだが、この『冷血』はそのあたりがかなり徹底されていて、非常に振れ幅の大きい作品だと思う。

この中に読む人へ受け取ってもらいたいと作者側から用意されている柔らかいものはとても少ない。私たちはひたすら状況を追いかけ、感じ、自分の心へ問い続けることを繰り返す。それだけが私たちに許された自由であることに気づいた時、『冷血』は私たち自身の物語になっている。