遠くで戦う友へ – amazarashi『夕日信仰ヒガシズム』感想

きっと誰しもが少なからず経験あることだとは思うのだが、青春時代に「音楽に救われる」とか「音楽があるから生きていける」とか、そんなことを思ったり感じたりしてしまうことが私にもあったりした。でも、それが自分にとっての音楽との関わり方だと思っていたし、その関係はいつまでもずっと続くものだと信じていた。

しかしある時から、たぶん好きなバンドのライブに足繁く通うようになったあたりから、急にそんな風に思ったり感じたりすることが嫌になってきた。イヤホンから流れてくる自分だけのものと思っていた音楽は、実はみんなのものだった。周りの人達と一緒になって同じタイミングで同じように拳を突き上げ、同じように感動に浸るという音楽の共有体験は、それはそれで新鮮だったし素直に楽しかったのだが、同時にそれはこれまでの自分の音楽だと思っていた「わかってたまるか」精神と真逆のところにあるものでもあって、当初は複雑な思いをひとり感じたりもした。

次第に音楽と自分を切り離していくようになり、そのうち「音楽は音楽、自分は自分」くらいの距離感で丁度いいと思うようになった。ジーンとくるような歌詞や、ゾクゾクとするような音にいくら自分の心を重ねたりしてみても、それで沸き上がってくる感慨を決して偽物とはいわないが、どうしても借り物のような気がして。だからすごくカッコ良いとか面白いとか、そういうことだけ感じられればもう充分になった。イヤホンと鼓膜の間にしか音楽がなかったあの頃のように、「わたしの歌」はもう必要なくなっていた。

しかし「それでも」だ。そんな私でも、amazarashiの歌はやっぱり突き刺さる。秋田さんの声はこの凝り固まった胸の奥まで響く。なんて言うか、届く。かつて中村一義の『キャノンボール』やSyrup16gの『Reborn』に何かを乗り越えていくための力をもらったように、amazarashiの『もう一度』もまた人を明日に突き動かす力に溢れている。

amazarashiに「出会えた」と思うのは、心のどこかでいつも仲間を探している証拠なんだと思う。だからもしこの記事に偶然行き着いて、何か少しでも共感できるところがあったとするなら、あなたも私が探している仲間に違いない。私たちはこうやってamazarashiを媒介にして、遠くで戦う友がいると信じることができる。そして自分もまた強くありたいと願う。だから雨曝しの友よ、挫けるな。立ち上がれ。もう一度。