救われない男・金木研が失くした死に場所 – 石田スイ『東京喰種』感想

年明けぐらいに一気読みしたので、それからずいぶんと時間があいてしまった。それでもいつかちゃんと感想を書きたいと思うくらいハマったので、そろそろちょっとまとめてみる。とはいえ、まだまだ連載中の作品なので、とりあえず2ndシーズン(?)の入り口である『東京喰種:re』の1巻までの感想となってしまうが、ぼちぼち書いてみたい。

もし『東京喰種』の魅力は何か?と訊かれたら、それはもう作画の上手さ(本当にどんどん上手くなる!)や、スピード感のあるバトル描写、赫子などの細かい設定の作り込み、クセのあるキャラクターたち、ご都合主義にならないリアルな展開などなど、人によって答えはいろいろあると思うが、私はあえてそれを主人公・金木研、そう我らがカネキ君のその「救われなさ」に尽きると答えたいと思う。

『東京喰種:re』の1巻で西尾先輩が言う通り、カネキの救われなさにはホント胸が苦しくなる。とはいえ、14巻までを一区切りとして考えるなら、実はこのマンガの登場人物たちはほとんど救われていないし、かく言う西尾先輩だってそのひとりだろう。しかし、それでもカネキの救われなさ具合は特別で、もうこの『東京喰種』ってマンガはつまるところ“カネキいじめ”の話なんじゃないの?と思ってしまうくらいだ。

7巻でヤモリに精神的に殺されて、白カネキとして覚醒。14巻で有馬に「金木研」としての存在を殺されて、『東京喰種:re』で「佐々木琲世」として再出発する(こう思うと7巻毎に殺されているカネキ君…)。いずれの場面も、カネキにとって死に場所に違いなかったのだろうが、そのどちらでもカネキは最終的に死にきれなかった。ヤモリの場合は自らの意志でもって死を選ばなかった(喰種としての新しい自分を生きる覚悟を決めたともいえる)のだが、有馬の場合は死ぬことも許されず、その権利さえ奪われてしまったともいえる。

「殺されても死なない」というのは、そもそも言葉として矛盾しているが、カネキはその矛盾のど真ん中にいる。状態としては死んでいるわけではない。しかしそれを積極的に「生きている」と言い切るにもどうにも歯切れが悪い。そんなどちらにも辿り着くことのできない運命を背負いながら、それでも生きようとする直向きさ。これこそがカネキの「救われなさ」だと思うのだが、それはまた同時にカネキという悲劇のヒーローの魅力でもあり、このマンガの核だとも思っている。