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それでも俺は明日が欲しい – 『コードギアス 反逆のルルーシュ』感想

今さら感が半端ないが、今月は未見の名作アニメを観てみよう月間ということで、かねてから観よう観ようと思いながらもつい先送りにしてきたコードギアスの一期とR2を立て続けに観てみた。なるほど、非常に良くできた素晴らしいアニメだと思う。笠井潔御大がジャンル違いは承知の上でなお「このミス」なんかで取り上げるなどしてご執心な理由もわかる気がした。

ギアスという特殊能力を持った主人公・ルルーシュによる革命の話なのだが、ではそのギアスとは何か?という謎に対してあまりフォーカスを絞りすぎることなく、それはあくまでも物語にとってスパイス程度の扱いでしかないというところにとても好感が持てた。

本作はそういったギアスのようなSF設定を抜きにしても、終始一貫してひとりの青年の野望と、彼がたくさんの人と思惑のなかで揺れ動きながらも道をみつけていくその足跡を描き上げた、とても良質な人間ドラマとして完成していると思う。

「それでも俺は明日が欲しい」

コードギアスという作品の面白さは、何と言ってもR2に尽きる。なかでもラスボスと思われた皇帝シャルルが消えたあとの最終盤の盛り上げ方が絶妙で、準ラスボス候補だったシュナイゼルが立ちはだかるのは予想できたが、まさか最愛の妹であるナナリーをルルーシュの最後の敵にもってくるとは思わなかった。この展開は素直にうまいなあと感心した。まさかナナリーの目が見えない設定がこの最終局面への伏線だったなんて思ってもみなかった。

ルルーシュがゼロとして黒の騎士団を率いて戦っていたのはもちろん神聖ブリタニア帝国なのだが、でもだからといってそのブリタニアを一概に悪として位置づけられないし、また作品もそう示してはいない。ではルルーシュは何と闘っていたかというと、それは人それぞれが持つひとつひとつの正義だったように思う。

皇帝・シャルルにとっての正義は「昨日」にあった。シャルルは妻・マリアンヌと共に「昨日」、つまり世界の回帰を求めた。そのために神を殺そうとV.Vと画策し、その先にある嘘のない世界を作ろうとした。

しかし、シャルルの息子であり、ルルーシュの兄でもあるシュナイゼルは「今日」を求めた。神秘の力に頼らず、人類が今日までに築き上げてきた軍事力と政治力で統治された世界を作ろうとした。それは戦争を俗事と吐き捨てた父・シャルルの正義を否定する、シュナイゼルの正義の名のもとにある現実の延長線上にある世界だ。

でもルルーシュは「明日」が欲しいという。ルルーシュは思考エレベーターで集合無意識に、神に願った。「時の歩みを止めないでくれ」「それでも俺は明日が欲しい」と。父たちのように精神世界への帰依を目指すのでも、兄のように今日という現実を完成させるのでもなく、人間が本来持っている「より良く変わっていく力」を信じて明日を追い求め続けるべきだと考える。それがルルーシュにとっての正義だった。

このように三者三様の正義だが、では一体どの正義が正しいと思うのは、それもまた人それぞれなのだろう。でもきっとそれでいい。だって正義には正解がないのだから。ただ、シャルルのように神を殺そうとするのでも、シュナイゼルのように神を必要としないのでもなく、ルルーシュのように神を信じ、神に願う姿が人間と神との関係としては、なんだか一番しっくりくるように思えた。だから私はルルーシュの正義を信じたいと思う。

個人的にはルルーシュの「それでも俺は明日が欲しい」はアニメ史に残る名言、名台詞だと思う。そしてこの台詞自体が、必ずしも善悪の二元論で割り切ることのできない、複雑化された現代の正義に対するこの作品としてのひとつの答えだと思うのだ。

それはきっと生命のあがきなのではないのだろうか。国家、人種、所属、そういった個を縁取る輪郭を超えて、何かを求めることを諦めない原始から脈々と続く人間の宿命としての運命への抵抗、そしてその業をひとりの青年の野望を通した現代の正義として描きたかったのではないかと思う。

気になったキャラクター

ルルーシュ

かなり多くのキャラクターが登場する本作だが、一番魅力的に思えたのはやっぱりルルーシュになるだろうか。主人公が一番魅力的と感じる作品はやっぱり面白い。

アジテーターっぷりがゼロ初登場の頃は子どものいたずらの延長線レベルだったのに、みんなの信頼を勝ち得ていく過程でそれが段々と様になっていくのはわくわくした。あと、行儀しすぎる手さばきの数々。あれはシリアスのなかの清涼剤的にも楽しめた。

ジェレミア

あとはまあ誰も彼もが一長一短で、そこが人間っぽいといえば人間っぽいのだが、その中でも特に心に残ったのは、ジェレミア卿あたりだろうか。

「オレンジ」という言葉で人生を狂わせたジェレミアが、仕えるべき主君を失った世界でオレンジを育てる。ジェレミアにとってのオレンジは、ルルーシュとの絆そのものなんだろう。その終生変わることのない忠誠に胸が熱くなった。最初から最後まで何かと物語にちゃちゃを入れ続けてきたキャラクターに、ちゃんと微笑みのあるラストをあたえてくれてありがとうと思った。

そう思うと、わりとメインどころだった藤堂さえエピローグでちゃんと紹介されなかったので、このラストは破格の扱いといえるし、もしくは作り手側としては愛着のあるキャラクターだったのかもしれない。

ロイド

あとはロイド博士。スザクとニーナという全登場人物のなかでも扱いづらさ(あるいはウザさともいう)ナンバーワン&ツーを独占するであろう、コードギアスの二大困ったちゃん。そのふたりの後見人として彼らを支えたロイドは、コードギアス影の功労者だろう。

こういう人の心の機微がわからないマッドサイエンティストが、同じく人の心の機微がわからない青年たちの相手をして正しい方向へと先を示すというのは、マイナス×マイナスはプラスであるように、現実世界の人間関係としても案外起こり得ることなのかもしれない。いや、もしかしてロイドは狂ったフリをしているだけで、実はシュナイゼルもビックリの器の大きい大人物なのかも…ということはないな。

ただ、常識や慣習にとらわれないロイドが、いつも物事の真実をブラさずに捉えているのは、それが科学者だからなのか、もしくはだからこそ科学者なのだろうかと興味深く思う部分でもある。

明日も物語は生まれ続ける

観るタイミングを逃し続けてきて、今さら観るのもなんだかなあと思う未見の名作は、アニメに限らずたくさんあるが、それを縁がなかったとして忘れるのは、やっぱりちょっともったいないかもしれないと、今回コードギアスを観て思った。

当たり前だが、名作と呼ばれている作品や人気の高かった作品には、ちゃんとそれなりの理由がある。本当におもしろいものは、新しいとか古いとか関係なく、いつ観てもおもしろい。でも最近、その当たり前をなぜだかちょっと忘れてた。何かを選ぶ時に「今、これを観る価値はあるか?」みたいに、今という部分に拘りすぎていたと思う。もっと肩の力を抜いてみても、この様に良い出会いはあるというのに。

とはいえ、コードギアスに今の空気感がないのかといえばそれは違うし、前述の通り9.11後の現代における正義の多面性を問うという時代性もある。ただ、その答えとして用意された「明日」という概念は、それこそ神話の時代から変わっていないし、逆にこの先の未来においてもきっと変わらない。

そんな普遍的で、ある意味凡庸とも呼べるものが、こうやって不思議と力強く、なぜだか尊い響きにさえ聞こえるのは、いかに人間が昔から明日というものを反故にし続けてきたかということの他でもない証とはいえないだろうか。

たぶん、そういうところがおもしろいと感じたのかもしれない。答えはずっとずっと昔から持っているのに、どこにも見当たりませんと探している感じ。まるで額にかかっているメガネを必死に探すかのように、たぶん昔からずっと人間は滑稽で愚かなのだ。でも、だから物語が生まれる。人間が人間である限り、明日も物語は生まれ続けるのだ。