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「なんだかよくわからないもの」を愛せよ – 『キルラキル』感想

何かと評判の良い『キルラキル』を全部観た。確かに面白いと思うが、正直物足りないとも思った。あの象徴的なタイポグラフィや光の演出は面白い。ただ、作品を通して何が言いたかったのかは最後まであまりよくわからなかった。なので高い評価は内容というより見せ方の勝利なのかなと思う。

あ、あと音楽がとても良かった。アニメに限らずサントラを欲しいと思ったのはこれが初めてかも。特に美木杉愛九郎が脱ぎ出すところのBGMが個人的にツボすぎた。いつまで経っても耳から離れないので調べてみたら、どうやらオリジナル曲(Country Earl「Ping Pong Circulate」)があるらしい。オリジナル曲もなかなか良いけど、でもやっぱりキルラキル版の方が好き。澤野弘之さん、知らなかったけどいい仕事をする人だな。憶えておこう。

言葉という服

さて、24話も観たのに「あまりよくわからなかった」で締めるのはつまらないので、自分なりにもうちょっと足掻いてみる。

第22話「唇よ、熱く君を語れ」で皐月が「なんだかよくわからないものに溢れているから、この世界は美しい」的なことを言うのだが、『キルラキル』という作品はザックリ言うとこの言葉の通り「なんだかよくわからないもの」を全力で讃えた作品だと思う。そしてこの「なんだかよくわからないもの」という言葉は、序盤からマコの母が作る「なんだかよくわからないものを刻んでブチ込んだコロッケ」としてずっと繰り返し温められてきた『キルラキル』の代名詞とでもいえるものでもある。

では、この「なんだかよくわからないもの」が何かというと、これはちょっと説明が難しい。だってよくわからないんだから。

しかし、私たちはそれを知らないわけではないのだろう。だって目の前に広がる世界にはよくわからないものが溢れている。私たちの中にもよくわからないものがたくさんあるし、そんなことを思う私自体も誰かにとってのよくわからない存在であるかもしれない。

それなのに私たちが使う言葉は、そんな「よくわからなさ」をカバーすることができない。また言葉にすることで逆に本質を包み隠してしまうこともある。そう、まるで身の丈に合っていない服を着せるかのように。

「なんだかよくわからないもの」を「それっぽい言葉」へ落とし込むと途端につまらなくなるのは何故だろう。言葉が仇となることもある。それならば、勝手にサイズの合ってない服を着せることなんてしないで、裸のままそれを受け入れればいい。よくわからないものをよくわからないまま愛せよ。よくわからないものに服を着せようとしながら、そんなことを思った。