滅菌された社会のなかで – 『PSYCHO-PASS サイコパス』感想

ゴールデンウィークにゲオが準新作も50円キャンペーンをやってたので、そんなに興味なかったけど準新作ということで観てみた。やだね、この貧乏性。準新作じゃなかったらたぶん今も観てないと思う。新しい出会いをありがとうゲオ。またお盆あたりにやってください。

気になったところ

※以下、ネタバレも含みます。

原案が虚淵玄で、キャラクターデザインが『家庭教師ヒットマンREBORN!』の天野明で、オープニングテーマが凛として時雨(後半からNothing’s Carved In Stoneに変わるけど。で、そっちの方が好き。)で、監督が『踊る大捜査線』の本広克行(アニメ好きで有名)と豪華っちゃ豪華なんだけど、タイトルがサイコパスってのがちょっとね。うーん、どうしてもうちょっと捻らないかなー。メンツ的に「いかにも」すぎやしないだろうか。

内容については中盤のサイコハザード→ノナタワーあたりはよくできているなあと思った。ああ、ここで冒頭のシーンに繋がるのかと。ただ、並外れた格闘能力をもつ狡噛をも凌ぐ槙島に、背後から常守が忍びよって一撃→逮捕って、もうちょっとなかったのかな。そもそも槙島がなんでこんなに強いのかの説明も一切ないし。そういう詰めの甘さが全編通して多々ある。

だいたい、槙島みたいなタイプのキャラクターは頭は恐ろしく回るが戦闘はてんでダメというのが何ていうかセオリーだと思うし、その方がスリルがあっていいと思うんだよね。だからライバルが互いに強くて最後は殴り合いで解決とか、今の時代の筋にしてはちょっとお粗末かな。

結局作品が盛り上がるのはここまでで、終盤は狡噛も槙島もあまり持ち味を活かせず、突然謎の覚醒をはたした常守が妙に冴え渡りまくって終局。「狡噛と槙島が似てる」とかこの後に及んで言い出すし、それでもって狡噛が「俺だったら…」と槙島のバイオテロにあっさりと行き着くし。これ、言っておくけど100%勘だからね。こうなってくるとこの二人、似てるレベルじゃなくてそれ以上の何かがあるって考えちゃうよね。もしかしたらこれが二期の伏線になっているのかも(いや、ないな)。

あ、槙島の死がはっきりと描かれてないのは演出なんだろうけど、二期を作るための布石というのも多いにあるでしょ。でも槙島はもうこれ以上掘っても何も出てこなさそうだなあ。なので、二期はもう一期とは完全に切り離してオール新メンバーくらいの方がいいんじゃないかな。そういう意味では二期がどんな感じになるのかはちょっと楽しみ。狡噛が槙島化してVSシビュラシステム&公安なんてのはありがちすぎるからやめてね。

一番怖かったシーン

ヘルメット事件でヘルメット男が公衆の面前で女性に暴行するのだけど、その現場に居合わせた人たちが誰ひとりとしてその女性を助けず、かといって悲鳴も上げることもなく、ただただ無表情にそれを見つめているのが全編通して一番怖かった。

みんながみんな素通りしているわけではなく、一応気づいた人は足を止めているので、彼らはそれがまったく見えていないというわけではない。思わず足を止めてしまうくらいには「何かがそこで行われているという」という認識を持っている。でもそれが何であるかまったくわからないし、正しいか正しくないかの判断すら彼らにはつかないといった感じだ。

たとえ犯罪を未然に防ぐ滅菌された社会であったとしても、命の危険を感じさせるレベルの暴力をこんな風に見過ごすなんてこんなことがあるだろうか。人間はそこまでシステムに喰われてしまうものなのだろうか。だいたいみんながこんな感じになったら、もう人間は人間である必要がない。だからここに危機感や疑念を抱く槙島側の考えもわからなくはない。

率直に言おう。このシーンはあまりにも人間を舐め切っていると思う。何事にも無関心な現代社会の成れの果てを描いた痛烈な風刺のつもりかもしれないが、ここにこの作品としての底を見た気がした。

あ、最後に。シビュラシステムの正体でフロントミッションを思い出したのは私だけだろうか。当時、多感な少年だった私はけっこうあれで傷ついたものだが、あれからもう20年近く経つのに、それでもやっぱり人間の脳が最強のスーパーコンピューター!というのはいささか進歩がない気がしなくもないが、さて。

  • 通りすがりの大首領

    別の映画を検索してたどり着いた通りすがりです。サイコパスはずっと前に視聴してうろ覚えですが、少なくとも槙島の身体能力については意味があったと思いますよ。狡噛と槙島の肉弾戦、己の身体を行使した殺し合いは、シビュラとドミネーターによる人間性不在の断罪と殺人の対局にあるものとして描かれていました。単純にストーリーを盛り上げるためのセオリー以上の意図がある設定とわたしは考えます。

    • vwxwv

      コメントありがとうございます。ずいぶんとお返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
      仰る通り、確かに狡噛と槙島の肉弾戦は作品世界のアンチテーゼのような役割を果たしていると考えるべきですね。それを物語のクライマックスに用意した構成の妙を読み取れていませんでした・・。「殴られればそりゃ痛い(そして逆も然り)」という、実感をともなった痛みに出会う機会の減少と喪失は、サイコパスの世界だけではなく、今のネットベースになりつつある社会にも通じるところがあり、そのあたりへも一石を投じているとも考えられるかもしれませんね。であれば、なおさらこれは読み解くべき文脈であったわけで・・。お恥ずかしい限りです。(このエントリーを書いた時は、槙島のスーパーマンっぷりがチートすぎるなと、単純に思っていただけでした)