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天国に一番近い一日

2012年3月11日。震災からちょうど1年が経った午後2時46分、日本中の多くの人が目を閉じて鎮魂の祈りを捧げた。普段生きている分には天国なんて絵空事にしか思えないが、この日ばかりはきっと多くの人が真剣にそれぞれの天国を見つめ、何かを語りかけたはずだ。

天国へ語りかける言葉は常にこちら側からの一方通行で、だからこそ生きていることはかけがえがないのだろう。天国は何も語り返してはくれない。空を流れる雲の隙間から懐かしい声が聞こえたような気がしても、それはやはり想像力や願望が作りだした幻にすぎない。ただ、世の中にはそうとわかって見る幻もあると思う。そしてそれは心の弱さではなく、人間が元々持っている原始的な信仰心のような気がする。

空に海に山に花に亡くなった人の面影をみつけようとすることは、きっと人間らしさに溢れている。でも、もしこの世界に天国と呼べる場所があるとするならば、それは空の彼方でも海の果てでもなく、私たちひとりひとりの中ではないだろうか。私たちが何かを祈る時に目を閉じるのにはおそらくちゃんと意味がある。瞼の裏に広がる暗闇の深淵、記憶と想いの混ざり合う場所に自分だけの天国がたぶんある。