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異端の子供向けミステリー – 麻耶雄嵩『神様ゲーム』感想

※ネタバレ含みます。未読の方はご注意を。

けっこう前にミステリーランドで出ていた『神様ゲーム』が何故か今ごろノベルス落ちしたので、いい機会だと手にとってみた。(それにしても麻耶雄嵩はこの前『翼ある闇』がノベルスで復刊したりして、講談社的にはちょっと売りたいのかな?)

まず初めに確認しておきたいのは、この『神様ゲーム』という作品は、もともと子供のためのミステリーとして書かれてあるということだ。なのでミステリーランド版では子供でも読めるようにと漢字にルビがふってある。そもそも講談社ミステリーランド自体が子供向けのミステリーというコンセプトで刊行されたシリーズであり、本のつくりが少し凝っているからなのか、普通の単行本よりも値段が少し高い。ただこうやってノベルス落ちすることからもわかるように、内容は大人が読んでもOKということなのだから、先ほどの値段含めて口先だけの子供向けと思えなくはない。その中でも麻耶雄嵩の『神様ゲーム』はかなりやらかしていると聞いていたので、ずっと気にはなっていた一冊だった。

では、感想を。

さり気なさすぎる伏線からの深読み

まあおそらく私も含めて99.9%の人が最後のオチに「えっ?!」と首を捻ったことだろう。母親共犯説の根拠と思わしき箇所(小柄である)は物語のかなり早い段階で出てくるが、比較的小柄な体躯である芳雄の裏付け設定が、まさか大オチの伏線だとはちょっと思わない。これは作者の伏線の仕込み方が上手いとかではなく、そもそも根本的に無理があるように思えるのだ。小柄とは書いてあるが、小学生なみに小柄であるとは言及されているわけでもないし、それだったら芳雄の推理(父親共犯説)の方がまだリアリティがあるように思う。でもそのことを作者も十分わかっていて、なのにあえて根拠の乏しい母親共犯者を真相として物語を締めようとしているように感じる。そしてそれは、読者をビックリさせてやろうとか、後味を悪くしてやろうとか、そういうのとは別の意図を感じる。きっとそれは「鈴木君が神様ではない」ということの証明ではないだろうか。つまりこの作品に神様はいないということだ。

鈴木君が神様ではない場合の読み方

芳雄が逡巡の末に至る父親共犯説は、小学生らしからぬ論理力と観察力とで立派に成立している仮説のように思う。だがその推理を否定して母を包み込む炎。この時、芳雄の母が共犯なのかどうかよりも、それがはたして本当に神様の天誅なのかという視点で考えたい。

芳雄は鈴木君を神様だと信じているので、それが神様の天誅にしか思えない。ただ冷静になって考えてみると、鈴木君が神様である決定的な証拠は芳雄にも、そして読者にもハッキリとは提示されていない。芳雄が36歳で飛行機事故で死ぬことも、まだまだわからない未来の話だし、秋屋甲斐に関しても単純に犯行現場を見たとか、そのあとをつけて名前を確認したとか、何らかの方法で犯人であることを知っていたのかもしれない。ミチルちゃんの天誅も偶然の結果かもしれない。

でも芳雄はそう思えない。芳雄は神様を信じているから。誰よりも。そして自分よりも。芳雄は自分が勝手に始めた神様ゲームにひとり勝手に飲み込まれてしまったといえるし、これが勝敗のつくゲームなら芳雄は敗者だろう。罰ゲームはこれから26年分の悪夢。そして芳雄は36歳の運命の日を何事もなく越えた時、ようやく悪夢から目が覚める。なんだ、これは本当にゲームだったんだと。でもそこで本当の謎も目を覚ますわけだが。

子供に伝えたい信念の所在

最初に確認した通り、この『神様ゲーム』は子供向けに書かれたミステリーだ。なので、なんかしら教訓めいたメッセージが込められているはず。では『神様ゲーム』に込められたメッセージとはなんだろうか?

思うにそれは「信念を他人に預けないこと」じゃないだろうか。芳雄は自分が生きていること、もしくは死なないことを他人の言葉によって理由づけている。それは生きる信念を他人に黒く塗りつぶされてしまったからなのかもしれないけど、はたしてそんな生き方は正しいといえるだろうか。

バッドエンドだからこそ刻まれる物語は多いし、まして子供の頃ならなおさらだ。麻耶雄嵩はおそろしい作家だなと改めて思う。