笑うべきだとわかった時は泣くべきではない

それは被災者だけではない。逆境と向き合い、今この瞬間にだって現在進行形で歯をくいしばって毎日を過ごしている人がこの国にはたくさんいる。なのに、その一方で人々の間で挨拶のように交わされる「本当に大変なのはこれからだ」とか「震災は終わりの始まりにすぎない」いう言葉の数々は一体何なのだろう?先行きの見えない不安に対して、誰もが思うことや言いたいことのひとつやふたつはある。そう思わずにいられない現実を私たちは突きつけられて久しい。

だとしてもだ。私は自戒を込めて問いたい。それを愛のない言葉だとは思わないだろうか?そんな呪いのよう言葉で、知らないうちに自分を安っぽくさせてはいないだろうか?吐き出したくなるような苦い言葉も、喉から出かかったところでグッと飲み込む、そんな小さな気高ささえも持ち得ないのだろうか?

ある陸前高田の少年の話

新しい年が明けて数日経った頃、報道ステーションで陸前高田の人たちの年越しと年明けの特集ドキュメントをやっていた。その中に登場した10歳くらいの少年のことが忘れられられない。

その少年は津波で両親を亡くし祖父母と弟と仮設住宅で暮らしている。少年は部屋のあちこちに両親と弟と自分の四人が写っている家族の写真をコピーして貼っている。冷蔵庫の扉にも貼っている。テレビの取材班が訪ねてきた時も夏祭りのビデオを観せ、これがお父さんでこっちがお母さんと説明していた。そんな姿をみていると、やはり心は今も両親の死に囚われたままなのかなと想像するのは難しくないが、それでも少年は元気よく友達と遊び、楽しそうに笑う。

陸前高田の大晦日。真冬の夜空に新年の訪れを告げる打ち上げ花火があがった。鮮やかな光を見つめながら、誰もが震災で亡くした大切な人へ思いを馳せたことだろう。少年もみんなと同じように静かに花火を見つめていた。テレビカメラがそんな少年の目元へ、この時を待っていたとばかりに寄る。これ以上ないくらい寄る。画面一杯に映し出された少年の黒い瞳。まばゆい光がパッ、パッと射す。でもそこに涙はない。

年が明けて2012年元日の朝。寒空の下、少年は弟と一緒に凧揚げに夢中だった。最後にインタビュアーが少年に聞いた。「今、何が一番したい?」と。きっとテレビとしてはどうしても「お父さんとお母さんと一緒に◯◯したい」みたいなコメントが欲しかったのだろう。あざとい質問だなと思った。少年は答えた。「自転車に乗りたい。自転車に乗って学校の周りを走りたい。」

言えない。私には言えないと思った。少年はわかっている。両親とはもう一緒に何もできないことを。いくら願っても死んだ人は生き返らないことを。だからこの答えは、それを全部まるごと引っくるめての答えなのだろう。自転車に乗りたい。なんでもない言葉だが、なんでもない言葉だからこそ力強く聞こえないだろうか。

笑うべきだとわかった時は泣くべきではない

話を始めに戻そう。本当に大変なのはこれから?震災は終わりの始まりにすぎない?そんなことばかり言っていると、この陸前高田の少年に笑われる気がしないだろうか。なんだかそれは、人間の真ん中にある芯を湿らせているような気がしてならない。

「笑うべきだとわかった時は、泣くべきじゃないぜ。」大好きなマンガの台詞がよみがえる。逆境を超えて笑うべきだとわかった人に、どうか少しでも多くの幸せが訪れますように。その強さが、いつの日か必ずあたたかく報われますように。いつだってそう願わずにはいられない。