東北ローカル線パスであれから二年半の被災地を巡る一人旅

9月のことなのでもうずいぶん前の話だが、秋分の日の三連休を使って宮城と岩手の被災地(具体的には石巻、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田)をみてきた。どうして震災から二年半経った今なのかというと、きっかけは東京オリンピックが決まったことにあったと思う。

おそらくこれで復興のピッチがこれまでよりも上がるような気がしている。それはとてもいいことだし、もちろんそう願ってやまないのだが、これは見方を変えれば今の被災地の風景はこれから刻一刻と変わっていくことでもあり、震災の爪痕は薄くなっていくいうことでもある。

その前に見なくてはいけないと思った。実際にこの目で被災地を見ておくべきだと思ったのは今に始まったことではないが、日本中がお祭りムードだったあの時、突然そのタイミングがやってきたような気がしたのだ。

それに今回はJRが発売している期間限定のお得なフリーきっふ「東北ローカル線パス」が大きく背中を押してくれた。これなしでは今回の旅は成立しなかった。詳しくは後述するが、週末に在来線で東北巡りをしたい人は利用することをおすすめする。

東北ローカル線パスについて

今回の旅で使った東北ローカル線パスとは、JR東日本が期間限定で発売しているフリーきっぷのこと。

大人6,000円・子供3,000円でJR指定の連続する三日間(金土日もしくは土日月のみ)、指定されたフリーエリアのJR在来線、私鉄、ならびに一部の復旧されていない区間を走るBRTと代行バスを自由に乗ることができる。

ちなみに青春18きっぷのような横長のきっぷなので、自動改札は通らない(田舎の駅にはそもそも自動改札自体がない)。乗り降りの際には駅の係員にみせて使う。バスの場合も一緒で、運転手に見せて使う。

わざわざ駅できっぷを買わなくて済むし、またバスの乗り降りの際に面倒な両替の手間からも解放される。これは地方駅の乗車方法がよくわからない観光客にとっては大きなメリットといえるだろう。

ネックとしては、出発日が金曜日もしくは土曜日に限定されることと、あとフリーエリア外から出発する場合はまずそこまで行かなきゃいけないということだろう。私は今回新幹線でフリーエリア内である福島まで行き、そこで一旦降りてから福島駅のびゅうプラザで購入してスタートした。

青春18きっぷほどの割安感はないが、それでも使いこなせば十分その恩恵に預かれるお得なきっぷだと思う。私は今回しこたま電車とバスに乗りまくったが、多分普通に乗っていたらこの倍以上の金額になっただろう。ただ、これはかなりストイックな若い使い方だと思うので、もうちょっと目的地を絞って緩く使う方がいいかなと思う。

「忘れてない」を届けに

東京オリンピックが決定した際にマスコミはこぞって被災地の仮設住宅へインタビューを撮りに行った。それ自体が既にあざとい行為にも映るのだが、それに答える被災者たちは異口同音にこう言っていた。「私たちのことを忘れないでもらいたい」と。

ただ単にマスコミがそういうコメントばかりをピックアップしているだけなのかもしれないし、その言葉自体もきっと私たちにというより国や行政へ向けてのものだろう。しかし、その思いは対象を限らず切実なもののはずだ。

先日気仙沼を訪問した知人も、現地の人たちは何よりも風化をおそれていると言っていたという。震災直後の抜き差しならない状況の頃は、被災地に観光に行くなんて不謹慎だという声もあったが、それも時間とともにおさまりつつある今、被災地は観光客を待っている。食べて飲んで買って泊まって、そうやってお金を落として欲しいというのとはまた別の「私たちのことを忘れないでもらいたい」と思う気持ちで。

観光客の私では、現地の人のその気持ちを完全に理解することは難しいのかもしれない。それでも誰かに対して「忘れて欲しくない」と思う気持ちはわかるような気がした。だからそれに応えたかった。「忘れてない」という言葉で。とはいっても別に現地の人に直接言うわけじゃない。電車やバスで被災地へ足を運ぶこと。それ自体が「忘れてない」という言葉になるはずだと信じて。

風化はどうしたって誰も止めることはできないだろう。でも、それを少しでも遅らせる助けなら誰にでもできるはずだ。忘れることが人間の仕様であるなら、それに抗って忘れないようにしようとするのは人間の力だと思う。人が人を思う力だ。

初日(仙台~矢本、女川)

仙台~矢本

福島から東北本線で仙台へ。この日の仙台は夏が戻ってきたかのような暑さで、東北へ来たという感じがしなかった。休憩をはさんで仙台から仙石線で石巻方面へ向かい、松島海岸で下車。ここから代行バスで矢本まで向かう。

松島海岸〜矢本間の代行バスは古いタイプの観光バスみたいな感じで、最近みなくなった背もたれの灰皿(もちろん車内は禁煙)、カラオケとかを流す小さなテレビ(もちろんカラオケはできない)など、時代を感じさせる内装だった。なので座席のつくりも昭和仕様で、エコノミー症候群になりそうなくらい狭い。とはいっても乗車時間は40分くらいなものなので我慢できる範囲。

始発の松島海岸で乗った人は、ほとんど終点の矢本まで乗るって感じだった。途中で乗り降りする人はほとんどいない。松島海岸発だと右側が海側になるので、座る時はそっちがおすすめ。松島海岸あたりは車窓から松島の美しい景色が少しだがみられるし、東名あたりは津波の爪跡を感じることができる。

矢本に着いた頃には日も落ちかけていて、今日はこれ以上の散策は無理そうだから矢本でゆっくり夕食でも食べようなんて考えていた。しかし宿に着く直前、偶然その日に女川で震災以来おこなわれていなかった花火大会があること、そして翌日には「おながわ秋刀魚収穫祭」があるということを知り、これも何かの思し召しだろうと急遽スケジュール変更。チェックインしたあと女川へ向かった。

女川

矢本から仙石線で石巻まで出て、石巻で石巻線へ乗り換え。しかしそのまま石巻線で女川までは行けないので、ひとつ前の浦宿から代行バスに乗り換えることになる。

浦宿〜女川間の代行バスは今どきの観光バスみたいな感じで、松島海岸発のものに比べると段違いに乗り心地がよかった。女川まで約10分程度の距離しか走らないのに、なぜこんないいバスを使ってるんだろと不思議に思う。松島海岸〜矢本間の方が距離も長いし乗客も多いんだから、そっちにこのバスを使うことを検討するべきだと思った。

浦宿の駅前には地元のコンビニと、ちょっと離れたところにセブンイレブンがあるくらいで、他は民家しかない。ただ、浦宿からの電車のダイヤとある程度連動しているのか、そこまで乗り継ぎは悪くない印象だった。

バスに揺れること10分、花火のスタートと共に女川に到着することができた。バス停は港から少し離れた高台の上にあるので、もっと近くで観ようと港の方へ降りていった。

こういった地方の花火大会は初めての体験だった。女川は港をぐるっと山が囲う地形になっていて、そのため花火の音が山に跳ね返って湾内で響きわたるので、スケール以上の迫力ある音の衝撃波を味わえた。

ひとりで花火を見上げる地元のおじさんの後ろで眺める花火は、何かしんみりさせるものがあった。大きな花火も素晴らしかったのだが、ラストの方で上がった笑顔マークの花火と、最後のチカチカチカと眩しく光る音のない花火がとてもよかった。普段はあまりこういう見え透いた演出はあざとく感じるひねくれ者の私だが、この日のこの花火は素直にとても染みた。

震災以来となる夜空に咲いた鎮魂の花火。この夜は女川の人たちにとって特別なものだったに違いない。そんな日にタイミングよく居合わせることができて、初日だったけどこの旅をしてよかったと思った。私にとっても忘れることができない、そんな素敵な花火大会だった。

二日目(石巻、女川、南三陸、気仙沼)

石巻

ここからは写真を交えて。

早朝にチェックアウトして石巻へ。かねてからの計画では石巻で朝食をとったあとに散策する予定だったが、急遽女川の秋刀魚祭りに行くことにしたので、朝食だけのために立ち寄ることとなった。

昨日は乗り換えだけで終わった石巻だったが、改札を出ると駅前にはいろいろあって、さすが仙台に次ぐ宮城県第二の都市だなと思った。ただ仙台との間にはかなりの差があるが。

駅前のアスファルトには亀裂の走った跡があり、液状化の影響なのかボコボコが目立った。あと、あちらこちらに石ノ森章太郎作品のキャラクターが鎮座していた。また機会があったら今度はじっくりと観光に来たい。

女川

あらためて石巻線に乗り再び女川へ。昨夜訪れた時は暗くて何も見えなかったが、石巻線の車窓からも被害の爪痕を感じるところがある。

昨日と同じく浦宿から代行バスで女川へ。女川の港付近の被害もかなりのもので、花火大会の駐車場になっていた場所もきっと何かの跡地なんだということにその時ようやく気づいた。

「おながわ秋刀魚収穫祭」はバス停からすぐの大きな運動場が会場となっていて、まだ開会式の前だというのに既に地元の人たちとボランティアの人たちとでなかなかの賑わいだった。

お目当ての秋刀魚の炭火焼きはなかなかのスケールで、かなりスタートの方で並べたのですぐに貰えることができた。

焼きたての秋刀魚は見るからに美味しそうで、実際とても美味しかった。普段ははらわたはあまり食べないのだが、この時の秋刀魚は新鮮だからなのかはらわたに臭みがなく、全部きれいに食べることができた。

秋刀魚の炭火焼き以外にもたくさんのブースが出店していて和やかな雰囲気だった。場所が運動場だけに、お祭りに来たというよりも地元の学校の体育祭に来たかのようなゆるいムードで、それが何とも妙に心地よかった。

期せずして二日続けて行くことになった女川だったが、去るころには不思議と愛着が湧いていた。話しかけ地元の方もとても親切で、素直にいいところだなあと思った。いつかまた行きたいと思う。

南三陸

名残惜しい気持ちを振り払い、浦宿から再び石巻線で小牛田方面へ。途中の前谷地で気仙沼線に乗り換えて柳津まで。ここにきてついに単線となり、いよいよ田舎にきた感じがしてきた。

気仙沼線は今のところ柳津までしか走っていないので、ここからはBRT(バス・ラピッド・トランジット)に乗り換えることになる。柳津は山の中の駅で駅前には食事処も喫茶店もない。駅付きの売店があるくらい。柳津からBRTに乗る際、乗り継ぎが悪く1時間待ちくらいせざるをえなくなった場合は時間を潰すのに苦労しそうだ。

この時は20分程度の乗り継ぎだったので、柳津の駅前にはBRTが止まって待っていた(ただし出発10分前くらいまで乗車はできない)。柳津〜気仙沼間のBRTは普通の路線バスみたいな感じで、代行バスにはなかった降車ボタンがついている。内装・外装ともにとってもキレイで、赤い車体にはリスの絵が描いてあって可愛らしい。

ちなみにこのリスは「odeca(オデカ)」という気仙沼線と大船渡線のBRT専用のICカード乗車券のマスコットキャラクターで、「尾デカ」だからリスということらしい。odeca以外のSuicaやPASMOはBRTでは使えないので注意。

柳津〜気仙沼間のBRTはところどころBRT専用道路を走る。それでもさすがに電車のようにとはいかないが、普通の路線バスよりは時間に正確だと思う。バス一台分がギリギリ走れるくらいの幅しかない細く長いトンネルはなかなかスリリングだった。柳津を出て約30分で南三陸町の志津川へ到着した。

志津川のバス停のすぐ横にある「南三陸さんさん商店街」は小さな仮設店舗が軒を連ねる小さな商店街なのだけど、日曜日だったこともあってか、なかなかの賑わいだった。ちょうどお昼時だったので、食事処はどこもちょっとした行列ができていた。横にある広い駐車場にはたくさん車が止まっていて、さながら道の駅のようだった。駐車場の奥の方にモアイ像があって、静かに賑やかな商店街を見つめていた。

南三陸町防災対策庁舎は商店街から歩いて10分くらいのところにある。志津川に着く前にバスから遠目で見た時にはわからなかったが、庁舎の前はちょっとした駐車場になっていて、そこまで多くの人ではないが、それでもひっきりなしに人が訪れる、そんな観光スポットのようになっていた。

献花台で手を合わせた。ただただ冥福を祈る言葉しか出てこない。その献花台の横で、地元の人と思われるおじさんがブロックに腰かけて、観光客である我々に険のある視線を向けながら煙草をふかしていた。それがとても印象に残っている。

あたり一面に草むらが広がる。

気仙沼

志津川から気仙沼行きのBRTに乗り、気仙沼までは約1時間30分。しかしそのまま気仙沼駅に向かわず、気仙沼港の周辺をみたかったのでひとつ前の南気仙沼で降りた。

南気仙沼のバス停はGoogleマップ上の南気仙沼駅よりだいぶ内陸側、川を挟んだ東浜街道沿いにある。東浜街道は交通量も多く店舗もたくさん並んでいて、どこにでもある地方都市の国道沿いの雰囲気がした。

バス停から一路東へ。橋を渡って気仙沼の魚市場の方へ向かうと一気に殺風景な景色が広がってくる。南三陸は本当に何もない草むらが広がっていたが、気仙沼は草むらではなく建物の基礎がみえる更地が続く。印象としては女川に近い。

静かな日曜日の魚市場を通りすぎて、フェリー乗り場の方へ向かった。この付近の更地に大きな水たまりができていて、そこに10羽くらいカラスが群がっていた。そういえば先の南三陸でも、このあとに行った陸前高田でもカラスはみなかった。

そこから駅までの緩い坂道を登って気仙沼駅に向かい、大船渡線で一ノ関まで行き、東北本線で宿をとってあった北上へ。本当は気仙沼に泊まりたかったのだが、三連休の影響なのか、それとも営業を再開した宿泊施設が少ないのか、宿をとることがてきなかった。

三日目(気仙沼、陸前高田)

気仙沼

最終日。北上から来た道を戻って再び気仙沼へ。ここから大船渡線のBRTに乗って陸前高田へ奇跡の一本松を見に行った。

気仙沼の隣の駅、鹿折唐桑には気仙沼の「震災のシンボル」ともいえる陸に打ち上げられた貨物船「第18共徳丸」があった。しかし、私が行った時には既に解体作業が始まっていて、近づいて見ることはできなかった。たぶん近いうちに消えてなくなるだろう。その前に見ることができてよかったと思う。

鹿折唐桑は気仙沼の港からちょっと距離が離れている。なのにこんなところまで大きな船が流されてきたと思うと、何もなくなってしまった更地を見た時に感じる津波の破壊力とはまた少し違う、津波という水の塊の持つ大きな力を見たような気がした。

またこのあたりは気仙沼の漁港と同じくらい津波の被害が大きかったようで、きっと住宅地だったのだろう、住宅らしき基礎の跡が残る更地が広がっていて、そのところどころに献花が置かれていた。

陸前高田(奇跡の一本松)

気仙沼を出発して約30分で期間限定(〜2013年11月30日まで)の臨時駅「奇跡の一本松駅」に到着するはずだったのだが、途中のトンネル内で事故があったらしく、事故処理の渋滞にはまって予定より20分遅れた。

バス停から歩いて約5分、一応今回の旅のゴールとしていた一本松にたどり着くことができた。周辺は再開発の工事が進んでいて、広大な更地が広がっていた。

知っての通りこの一本松には既に人の手が加えられていて、もはや木というよりオブジェと言った方が正しいかもしれない。真近でみるとよくわかるが、けっこう風が強く吹いていたのに葉っぱが全然揺れていなかった。

このオブジェ化をめぐって、そこまでしてこの一本松を残す必要があるのかという意見もあったらしいが、現地で実際に見てみてそこまでして残したいと思う気持ちがわかるような気がした。

はじめの方に書いたが、私たち人間にとても忘れっぽい。だから何かを記憶にとどめておきたいのなら、そのとっかかりとしてこの一本松のようなわかりやすいシンボルが必要なんだと思う。そしてここから何かを見出し、それを糧とする人は少なくないはずだ。

旅を終えて

ざっくりとこの三日間の足跡をまとめてみたが、最後に今回の旅で思ったことや考えたことについて書いてみたい。

気軽な観光客でいいと思う

季節的にちょうどいいというのもあったのかもしれないが、観光客が思ってたよりけっこういた。家族連れだったり友達同士だったり、私のように一人旅だったり。あと外国人も多くはなかったが目にした。

私もそうだったが、被災地に行くというと今でも「ボランティア?」と聞かれる。でも、もっと観光目的でもいいと思うし実際に観光客は多いのだから、足を運ぶことをあまり重たく考えずに美味しいものを食べに行くぐらいのフットワークの軽さで行ってみてもいいと思う。

人間の自由について

南三陸の防災庁舎の横には海に注ぐ小川があり、そこで釣り竿を垂らす人たちがいた。なんかそれがとても印象的で、その光景をみて藤原新也の『メメント・モリ』のなかにある「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という言葉を思い出した。

とはいっても別に私は彼らの魚釣りという自由を批判するつもりは全くない。ここでいう自由とは「好きな時に好きなことをできる」とか「何ものにも縛られない」などの意味ではなく、それがいいとか悪いとかそういった善し悪しの概念の上にある無常だと思う。

あと最終日、何もない陸前高田から何でもある仙台まで戻った時、そのギャップに初日には感じなかった息苦しさや違和感のようなものを覚えて、なぜか被災地に訪れた時よりも重たい気持ちになった。国分町の喧騒と享楽のなかを逃げるように歩きながら、ここにもまた南三陸の釣り人たちと同じようにそれぞれの自由があり、そしてそれがとても狂おしいものに感じられた。

あれからとこれから

被災地の状況は刻一刻と変わっている。もっと早くに来るべきだったと思う部分もあったが、あれから2年半経った今だからこそ見えてくるものもあると思うし、行く価値はいつだってあるはずだ。これからどうやって復興を遂げるのか、それを外野から静かに見守ることもできるが、見守るくらい気になるのなら現地を訪れて肌で感じればいいと思って飛び出した今回の旅、行ってよかったと思う。

もし将来再び訪れた時、あの何にもなかった更地に家が建っている光景を見たら、それは一見何でもないような景色なんだろうけど、感慨深い気持ちになるだろう。個人的にはいつか再び女川に行ってみたい。そんな風に思える場所ができたことが、なんか自分としてもとても嬉しかったりする。