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鈍色に輝く犯罪小説の金字塔 – 高村薫『レディ・ジョーカー』感想

今さら私なんかが言う必要はないのかもしれないけど、それでも言わずにはいられないのは、高村薫の『レディ・ジョーカー』という作品が日本文学史に残る紛れもない大傑作だということだ。こんなにおもしろくてすごい小説は滅多にない。読んでる途中の昂揚感と読了後の筆舌に尽くし難い虚脱感はここ数年間は記憶にない強烈なもので、これこそ私が思い描く理想の小説だと思った。

高村薫という作家には昔からなんとなく孤高というイメージが自分の中にはあり、高村氏の書く小説にはミステリーやサスペンスといったジャンルを超越した深くて重厚な文学性があると思う。よく「◯◯文学の最高峰」なんて大袈裟な帯文が踊るベストセラーが話題の新刊コーナーに平積みされてたりするが、高村氏の作品に関しては確かに「高村文学」という言葉にふさわしい確固たる世界観が構築されているように感じられる。

とはいっても、私と高村文学の接点は今から10年近く前に読んだ文庫になりたての『マークスの山』くらいなもので、そのマークスにしても正直なところ難しくてよくわからなかったというのが本音だったりする。でもそれは私のまだ若かった感性が高村氏の抒情的な世界観に追いついていなかっただけのことだと『レディ・ジョーカー』を読み終えた今なら断言できる。

『レディ・ジョーカー』は実際に起きたかの有名なグリコ・森永事件をモチーフにしている。いくら世事に疎くても、誰もが一度は耳にしたことはあるだろうこの戦後事件史に残る未解決事件を下書きに選ぶあたり、高村氏が『レディ・ジョーカー』にかけたモチベーションの高さは想像にかたくない。まさにモチーフに不足なしといったところだろう。

いざ読もうと勇んでページをめくると、最初に飛び込んでくるのは見慣れない旧字体で書かれたプロローグで、そこでいきなり心が挫けそうになるのだが、そこをどうか読み飛ばさず噛みしめるように読んで欲しい。旧字体の読みにくさなんて数ページで忘れ、すぐに引き込まれていくはずだ。実をいうと私はこのプロローグだけでかなり感極まってしまった。プロローグで泣きそうになった本なんてたぶん『レディ・ジョーカー』が初めてだと思う。

ひとつの手紙からはじまる物語は複数の視点から多角的に語られ、ひとつの犯罪はたくさんの人生を次々と飲み込んでいくのだが、その濁流のなかで登場人物たちは誰もが一様にもがき苦しむ。『レディ・ジョーカー』にはそんな彼らの心の内で繰り広げるられる葛藤や狂気がこれでもかというくらい執拗なまでに事細かく描かれていて、そしてそれが私には何故かとても美しく感じられた。人間とはかくも弱き揺れ動く存在であるのに、その振れ幅のなかに確かな美しさを隠しているものなのかもしれない。まるでその美しさこそが人間が人間であることの証しでもあるかのように。

それに対して、社会の影に潜む「システム」のその不動感たるや一体何なのだろうか。この「システム」のいくら叩いても全然びくともしない感じは、私たち人間の頼りなさに比べると絶望感や虚無感を覚えるほどであるのだが、しかしそれは一方で酷くつまらないもののように私には思えた。変わらないし変えられないのなら、それは無いことと同じではないだろうか。

タイトルにもなっているレディ・ジョーカーとは作品内に登場する誘拐グループの呼称であり、同時に自分たちは社会からババ抜きのジョーカーをつかまされたんだという怨嗟が生み出した男たちの声なき咆哮だ。それが結局何を彼らにもたらしたのか。その結末は是非とも自分の目で見届けてもらいたい。

最後に補足を。この『レディ・ジョーカー』はもちろん単体で読んでも十分成立する作品なのだが、実は『マークスの山』『照柿』に続く合田雄一郎刑事シリーズの第3作目でもある。合田刑事が気になったならシリーズを読み進めるも巻き戻るもいいだろう。このあとしばらくシリーズは長いお休みに入るが、第4作目『太陽を曳く馬』で合田刑事は復活し、最新作である『冷血』へと続いていく。また『太陽を曳く馬』は『レディ・ジョーカー』のあとにはじまる福澤彰之シリーズ三部作の完結編でもあるので、完璧に作品世界を味わいたいのであればその前に福澤彰之シリーズの『晴子情歌』と『新リア王』を読んでおくべきだろう。

ちなみに『レディ・ジョーカー』以降の高村作品はまだ文庫化されておらず、すべて上下巻のハードカバーでしか読む方法がない。だが高村氏は文庫化する際にかなりの改訂を加えるタイプの作家らしいので、ハードカバーはハードカバーで読む価値はあるとのこと。時間が経てばいずれどの作品も文庫化されるとは思うのだが、『レディ・ジョーカー』が1997年の作品なのに文庫化されたのが13年後の2010年ということを考えると、文庫化を待っているくらいならハードカバーで読んでしまった方がいろいろと幸せなような気がする。それでもハードカバーは何かとかさばるので、個人的にはKindle化を願ってやまない。高村作品が全部Kindle化されたらPaperwhiteを買ってもいいかなとちょっと思っていたりするので、Amazonさん、どうかよろしくお願いします。